道の駅板屋九朗兵衛の里~明倫小学校跡~湯ノ口


明倫小学校跡
明倫小学校跡

【日 時】2018年5月10日(木)
【天 候】晴れ
【コース】道の駅板屋九朗兵衛の里~明倫小学校跡
【ルート】 (10:00)道の駅板屋九朗兵衛の里--(11:05)明倫小学校跡--(13:30)湯ノ口--(15:10)道の駅板屋九朗兵衛の里市
【所要時間】5時間10分
【メンバー 】二人


夜、予想外に冷え込んだ。長袖・バッチを着込むが寒い。カイロを取り出す。しかし車中泊の初日しては良く寝ることができた。5時頃から明るくなり6時には起きる。朝食を摂り、街道歩きの服装に着替える。快晴で申し分ない条件。集合時間の9時には時間があるので周辺を散策する。まず、旧板屋の繁華街を歩く。足湯から橋を渡り入鹿川沿いに歩く。花は終わっているが藤棚が数か所ある。板屋九朗兵衛の妻の墓は以前はなかった。老人向け散策コースの案内がある。道の駅に戻る。自転車にのった中学生と行き交う。7時39分に木本高校行のバスが通過。まだ時間があるので私や親類が住んでいた所山を歩く。国道沿いは長屋区画が失われていたが、川沿いに進むと鉱山住宅の敷地区画がまだ残っており、今も使われている様子だった。道路から降りたところに在った散髪屋には同じ名前の表札が掛かっていた。

道の駅に戻り、wifiを試しているとin氏が現れる。唐突な感じがして驚く。掲示板で連絡した9時になってもnk氏が現れず。以前に連絡した10時まで待ってみることにする。日は高く登りこの時期に行動開始するには遅すぎる状態になった。in氏からはメールで連絡したのならメールでやるべきでは、と叱られる。10時まで待ったがnk氏は現れず、出発することにする。

話をしながら、緩い坂を登っていく。右下に保養施設がある。嘗てのトロッコの駅は朧気ながら記憶がある。配給所のような施設の記憶はない。階段状に工場鉄骨の骨組みが残る鉱山跡が対岸にある。同級生が住んでいた住宅にはまだ利用されているものがある。流石in氏は詳しい。20分ほどで大谷。ここからが熊野古道。分岐点の上には犬を放し飼いにしている家があるとのこと。

林道脇には所々にショートカットした古道ルートがあり、入口、出口の標識があるが、舗装された林道を進む。辺りは植林帯が続くが、開けたところに出ると遠望が利く。前方に鉄塔が見え「あの辺りが明倫小学校だ」とin氏。途中で休憩を考えていたが、1時間ほどで到着。気温も暑くならず汗も掻かずアッという間に着いてしまった感じ。

明倫小学校跡地の石標の横の小学校沿革の看板には嘗ての敷地図が示されている。布引の滝見物の車が2台が通る。夕陽の丘の展望台の上に登り遠望を楽しむ。熊野ボルタリングエリアの岩場に行ってみる。岩場の下には幾つか標識があり初登攀者らしい名前が記されている。展望台に戻るとin氏はスマホで遠くに見える山の同定に夢中になる。私が野付法師ではと言ったが見つからないとのこと(家で調べたところ野竹法師の間違い)。下の東屋に降り昼食タイム。校舎や教員宿舎跡の説明を聞く。今ある楠の大木は当時はなかったとのこと。下の運動場に降りる。現在は木が広場を覆っている。10年程前にはゲートボール場として使われていたとのこと。校門の前で記念撮影。

湯ノ口への降り口付近は林業作業用に道路が作られ表土が散乱している。尾根の片側がin氏所有の森林で一人で間伐等の作業を行っていると聞き驚く。嘗てマツタケが取れたが松くい虫で松が全滅したとのこと。展望台に登りツエノ峰・清流荘・北山川・西山等の風景を楽しむ。左に湯ノ口温泉を見ながら緩やかに下っていく。湯ノ口集落が見え始めると県道に出る。県道は道幅が狭く交通量が多い。清流荘の横のグランドの東屋で一服。in氏は無料wifiをチェック。

小川口の同級生の家などを聞きジェット船の船着き場。管理者が居なくなりゼンマイが長けてしまっている。所山に出てトンネルを通って道の駅に戻る。私は店の中を見ていく。in氏は先に実家に戻り、温泉で会うことにする。道の駅はオープンしたばかりで特徴のない状態。またスタッフの対応で印象が変わるのかもしれない。アンケートに一応思うところを書いてみる。時間に余裕があるので中学校に立ち寄る。

温泉でin氏と再会。相変わらず何とかの行水。in氏の実家まで移動する。バーベキューでもてなして頂く。私は初めてで、火の起こし方は何とかなるが、炭の扱いはままならない。家の直ぐ傍で作った野菜等をそのままもいで提供。畑には鉄管のポールを立ててネットを掛けている。大きな落花生・大きな枝豆・鮎に塩焼き・ふるさと納税の牛肉と盛りだくさん。息子さんの話や同級生の話など楽しい一時となった。


ツエノ峰・北山川・白倉山を望む
ツエノ峰・北山川・白倉山を望む



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